村社 石原神社(豊岡市竹野町阿金谷)
概 要
社 号 石原神社
読み いしはらじんじゃ
別 名 阿故谷神社
江戸時代は「妙見大権現」と称していた
所在地 豊岡市竹野町阿金谷588-3
旧地名 但馬国美含郡竹野郷阿金谷村
御祭神
彦湯支命 『国司文書・但馬故事記』
御神紋
例祭日 10月13日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
一口メモ
城崎温泉へ抜ける鋳物師峠のかかり口。轟にある森神社が式内阿故谷神社論社となっており、阿金谷の当社と阿古谷神社を混同する。式内阿故谷神社は、初め轟字蕩森に鎮座し其地古木欝蒼として荘厳を極めしかば士民自ら森の宮と尊称せりとある。当社と森・阿古谷神社はどういう関係にあるのかが謎であった。
歴史・由緒等
創立年月不詳
延宝4年(1676)9月本殿を再建す。
江戸時代妙見大権現と称し、明治以来現在社名に改める。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。
「兵庫県神社庁」
森(阿故谷)神社は、
人皇21代雄略天皇17年春4月 出雲国土師連の吾笥の部属、阿故氏人ら部属を率いて、阿故谷に来たり、清(須恵)器を作る。阿故は赤土なり。依って埴を延ばすを名づけて、蕩と云う。故にその処を蕩森と云う。
蕩は止呂呂久*1と云うべし。のち単に蕩と云い、また森とも云う。
(中略)
阿故氏人は阿居王(一に吾笥)を阿故谷丘に祀り、阿故谷神社と申しまつる。(蕩ノ森宮これなり)
当社の鎮座する阿金谷(阿故谷)とまた別に、轟にも阿故谷があった。
これとは別に阿故谷神社が再び記されている。
人皇55代文徳天皇仁寿2年秋7月 日下部良氏を以て権大領と為す。日下部良氏は彦湯支命の末裔なり。
3年秋9月 日下部良氏はその祖彦湯支命を阿故谷に祀り、阿故谷神社と称えまつる。
創建年代・関わった人も異なるので、両社は同名社でも全く別であるということか。
*1 止呂呂久が轟に転訛
阿故谷神社を石原神社と呼ぶようになったのかは、定かではないが、現祭神の磐石命(いわいしのみこと)から石原と云うのでは。
境内・社叢
鳥居(県道を挟み集落入口に建つ) 社号標・参道
狛犬
拝殿 本殿覆屋
境内社
地名・地誌
阿金谷
『太田文』(鎌倉後期1285)
美含郡竹野郷阿金谷
竹野町では金原の竹野鉱山で金銀が、椒の段金山で金が採れたというが、阿金谷は鉱山ではない。鎌倉後期には阿金谷となっており、おそらく諸国郡郷名著好字令で、阿故谷を好字の金に変えたのだろう。
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